紀尾井町

おとといは、少額管財事件の打ち合わせで、管財人事務所のある紀尾井町へ。

赤坂見附の駅を降り、弁慶橋のある出口を出たときから、雰囲気が違った。
澄んだ、品のある空気が流れている。
汐留に対するスラム街と化した新橋地区とは大きく違う。
途中、紀尾井町の町名の由来などが書かれた看板があるところがあったが、管財人との打ち合わせに遅れてはいけないので素通り。

千代田区の町名由来ガイドによると、
「紀尾井町(きおいちょう)の名前は、紀伊徳川・尾張徳川、彦根井伊の三家よりそれぞれ一字ずつ取って名付けられたものです。」
とのこと。
どうりで品の良い雰囲気が漂っていたはずだ。

さらに、
「これらの大名屋敷は、明治五年(1872)、新たに麹町紀尾井町(こうじまちきおいちょう)に生まれ変わり、明治十一年(1878)、麹町区に所属します。明治以降の紀尾井町は、政府用地、北白川宮(きたしらかわのみや)邸(のちの李王(りおう)邸、現・赤坂プリンスホテル)や伏見宮(ふしみのみや)邸(現・ホテルニューオータニ)、行政裁判所(現・城西大学)、尾張徳川邸(現・上智大学)などになりました。

 明治七年(1874)、赤坂喰違(くいちがい)付近で岩倉具視(いわくらともみ)が襲われ、同十一年(1878)には清水谷前の道で、時の内務卿(ないむきょう)大久保利通(おおくぼとしみち)が暗殺されました。事件後、現場近くの地に大久保利通の哀悼碑が設置され、のちに整備されて清水谷公園となりました。

 明治四十四年(1911)、町名変更により紀尾井町と改め、昭和九年(1934)、区画整理により北側の一部が麹町五丁目、麹町六丁目に編入されました。」
とのことである。
プリンスホテルは、経済的に逼迫した旧華族の土地を安く買いたたいた土地に作られたらしいが、ここもそうなのかな?

さて、某ビルにある事務所へ。
入ると、秘書さんたちが「いらっしゃいませ」と声をかけてくれる。
今回の管財人は、いやに記録を精査しており、いろいろ丁寧に聞いてくる。
こちらにとっては面倒ではあるが、それだけきちんとやってくれていて安心するし、こちらも勉強になる。
帰り際には、またまた秘書さんたちがお見送り。
それほど広い事務所ではなかったが、綺麗で品のある感じ。
こんな事務所に勤めたかったね。

以上、管財人事務所訪問日記でした。
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by black_penguin | 2006-01-18 23:27 | 業務関連 | Comments(0)

弁護士のちょっとブラックな業務外日誌


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